心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

悲惨な体験を語り続けるということは、心の健康に良いことだろうか。

ふるさとの復興 命の限り
元宮城県北上町 十三浜漁協組合長 佐藤清吾さんのお話だった。



秋田宏さんがまとめた明日への言葉

http://asuhenokotoba.blogspot.jp/search?updated-min=2016-01-01T00:00:00%2B09:00&updated-max=2017-01-01T00:00:00%2B09:00&max-results=50


今日の話を聞いて

印象に残った言葉は

「一人の100歩より、全体の1歩」という言葉だった。




これは非常時からの回復においては

大切なことなのかもしれない。

実際に、復興させてきたリーダーとしての

役割は凄いと思った。




そして、今日のお話を聞きながら

ずっと、心に感じてきたことがあった。

それは、この方の声のトーンが明るいということ。。。


悲惨な状況を過ごされてきたはずなのに

声に明るさがある

そして、その声には

聞いている人を元気づける力強さがあった。


どうしてなのだろうか?と

考えた。


いろいろな人の「明日への言葉」を

聞いてきた。

声を聞くだけで、こちらの心が辛く苦しくなってくる人も居た。


そして、この動画を思い出した。

精神科医が話す「嫌な記憶を忘れる方法」

https://www.youtube.com/watch?v=1qG1MpKmaX4


嫌な記憶を話せば話すほど、深く刻まれて忘れづらくなっていく。

人に話すのは1回まで。

1回、話したらあとはもう、話さない。。。。というのが

精神衛生上良い。。。。と言う。



この方は、辛い記憶を話すよりも

たくさんの前向きな行動をして、

成功させてきたのではないか。。

その体験の積み重ねが

声に明るさと

力強さと自信を与えてきたのかもしれないと思った。


また、逆に

悲惨な出来事を

とても辛い声で

悲惨に話す人も居る。

その声の切実な訴えに

聞くほうは、真剣さに引き込まれていく。

何とかしなければならない問題だと

心を揺さぶられる。



けらど、心配になるのだ。


先ほどの精神科医の動画のように

もし、話せば話すほど

深く刻まれてしまうのなら


語れば語るほど

何時までも、心が救われないばかりか

ますます、苦悩を深めていくのではないかと。


本人の心のためには

むしろ、そこから離れて

新しい方向に向かってしまったほうが

楽なのではないか。

新しい方向に向かったとしても、

体験から得た知恵は

忘れることはないのだし

新しい(悲惨な出来事を話さない)場所から

悲惨さの原因を減らすための

なにか、別なアプローチができるのではないか、

と思った。



確かに

悲惨な出来事を

悲惨なままに

語り継ぐことは

社会のためには

有益だろう。

けれど、語り継ぐ本人にとって

それは幸せなことなのか。



ある意味、

身を犠牲にして

身を挺して

語り継いでいく

そういう人生を選んだ人は

凄いと思う。


それを

やり続けられる強さと

精神力は素晴らしい。


ただ、心配になる。


「もう、いいから。

 いやなことは忘れて

 幸せな瞬間をもっと暖めてください。」と


言いたくなる私がいる。






今日の方の

明るい力強い声に

励まされた私。。。

その明るさについて

考えてみたら

ちょっと話がとんでしまった。


人には

それぞれ

持ち味がある。


それぞれ

違った役割もある。


けれど

語り継ぐことが

結果的には

本人を幸せから

遠ざけてしまうのだとしたら

それは

申し訳なさ過ぎると思う。


悲惨な経験をしただけで

充分辛い思いをしているのに

それ以上に語ってもらう必要があるのか。


30年以上前だが

小学校時代のクラスメートと

再会したことがある。


懐かしくて

我が家に泊ってもらって

いろいろ語り明かした。

その時に

私が自分のことを話しよどんでいると

「辛いことなら

話さないで」と

彼女に言われた。


私は、人からそう言われたのは初めてだった。


辛かったことだからこそ

聞きたがる人が多かった。


彼女は日本で生まれ

日本姓を持っていたが

彼女のご両親は

韓国人だった。

きっと

日本の中での差別で悲しい思いを

してきたこともあったのではないか。

「辛いことなら、話さないで」と

言った彼女の言葉に

痛みを知っている人の

思いやりを感じた。



悲惨な出来事を

語り継ぐことの必要性、

けれど

それだけに

依存しない風化を防ぐ方法が

あってよいはずだと強く思う。