心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

弱くていいんだよ

今朝は社会福祉士 木原活信さんのお話でした。



最近、「神様」という言葉を聞きなれていない私は

お話の途中に何度も出てくる「神様は」という言葉に


「神様、神様って、言っちゃだめ。みんなに嫌われちゃう。」

そう思って、焦っている自分を発見して可笑しくなりました。


実は私は、隠れクリスチャン(?)で

普段あまり、自分がクリスチャンだということを言いません。

私の周りに、いろいろな宗教の人がいたせいか

「自分の宗教を名乗ることは、口論の元」と固く思って来ました。




だから、めったに「神様」という言葉を口にしません。

それらしいことを言いたい時には

「サムシンググレイト」とか

「宇宙の大いなる意思」という言い方をしてきました。


でも、今日のお話を聞いて

もうそろそろ、私は「神様」という言葉を

言っても良い年頃かな(^^)なんて、思い始めました。


今日のお話で心に残った点は二つ。

ひとつは彼が若い時に言われた言葉で「キリスト教的愛とは、自分は人を愛せないということを前提とした言葉」です。



こわい言葉だけど、本当だなあと思いました。



自分の力で人を愛しきるなんて、私には無理です。

友達も肉親も大好きですが、いざという時に

自分の命をささげられるかというと

自信がないです。


だから、そんな状況がきたら祈ります、きっと。

「力をください」って。




私は人の相談を受けることがよくあります。


どうすることも出来ないほどの

状況の場合、

「神様、力をください」と祈りながら

話を聞きます。



そして

神様がお望みになったら <ここが大事です(^^)>

自分以上のパワーが出てきて

問題の解決に進むことが何度もありました。



こんな時にピッタリの聖書の言葉

「私は自分の弱さを誇ろう。

なぜなら私は弱い時にこそ、強いのである」






そして、今日のお話で

もう一つ、心に残った言葉は

人の心を開くのは

自分の成功談や武勇談ではなく

自分の弱さをさらけ出した時だと。



今の世の中は、

「何かを成し遂げなくてはいけない

役に立つ人間でなくてはいけない」

<BE>ではなくて<DO>ばかりを

声高に言われます



だけど、ただそこに生きているだけの「BE」の価値。。。


何も出来なくてもいい

ただ生きてそこに存在しているだけで

神様に愛されているんだという事実


それを知らない人、伝えられていない人が

多いように私にも感じられます。



私の尊敬した修道女の言葉に「みっともなさに徹する」と

言う言葉があります。



みっともなくていい

むしろ

みっともなく生きていこう

いや

みっともなさに徹して生きていこう



生きるって

かっこわるいことが

いっぱいあります。


できないことも

自分がなさけなくなることも


でもそれでいいんです


そのままで

神様は愛してくれている


神様は人間を作った時に

「よし」

といわれた。



弱さも、欠点も

すべてひっくるめて

「よし」と

OKを出された。



私は40年前に

尊敬した修道女に

そう言われてから

価値観が変わりました。