心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

つぎあてしながら生きていこう

「庶民の文化遺産 倉吉絣」     染織家 福井貞子さんのお話でした。


私は、今日初めて

「倉吉がすり」というものを知りました。


私は、母が着物の先生だったので

母からもらった絣の着物が2着あります。


絣は、気楽に着れて

好きな着物です。


昔、庶民が自分の家で

絣を織っていた。。。

そしおて、織物だけが

女性が換金できる手段であったことも

知りました。



昔は、庶民に贅沢なことは禁止されていて

織物の文様だけは

自由だったことも知りました。


地模様を織り込む倉吉がすりは

繊細で美しかったそうです。


そして

絣は10年20年経ったころから

綿のように柔らかくなり

文様の美しさも浮き上がってくるのだそうです。



だから、つぎあてをしながら

(130箇所もつぎがあたっていたそうです)

着続けていったのだそうです。



そういえば

我が家もよく、つぎあてをしました。


娘二人とも

服や色の好みがはっきりしていて

気に入ったパジャマなどは

つぎあてをしながら

ボロボロになるまで

着ていました。


でも、130箇所も

つぎあてされた着物。。。。

そういうものがあるなんて

びっくりしました。



長く生きるということも

自分の体に

あちこちと

つぎあてしながら

いきることなのかもしれません。


古くなっても

1個しかない体。


つぎあてつぎあてしながら

大切に使いたいものです。(^^)














<倉吉絣 http://www.pref.tottori.lg.jp/item/300674.htm>


絣糸、すなわち、あらかじめ染め分けた糸を使用して織り上げ、文様を表した織物を「絣」と呼ぶが、倉吉では絵画的な柄を織った絵絣(えがすり)や、さらに高度な綾織り、浮き織など様々な組織織(そしきおり)も織られるようになった。このような織物を「風通織」といい幻の織物と呼ばれ評判を呼んだ



当時倉吉地方の各家庭では自宅で使う木綿の着尺や布団生地はどれも、家の女手で織られており、呉服屋で買うというようなことはなかった。倉吉の娘は皆、機(はた)を習った。自分で糸を紡ぎその糸を紺屋へ持っていって染めてもらい、自分で織った。織物ができることによって一人前の娘として認められたのである。機織りのできない者は結婚もできなかったが、上手な者はそれが嫁入り道具とも見られ歓迎されたのである。 資料として、自分の織る織物の参考にしたり、新しく織った柄を集めて帳面に貼った「縞帳」が残っているが、倉吉の女は器用な者が多く、縞が織れるのはあたりまえで、器用な娘は平織りの絣とは違った織物「そしき織」や「風通織」、絵絣を織った。