心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

この人達に罪があるとすれば韓国青年を愛したという事だけ

秋田宏著・まとめ

明日への言葉: 松島啓昇(ナザレ園協力会代表) ・韓国の同胞に寄り添って





今日のお話を聞いて

はっとしたことは

ナザレ園を創立された牧師が

日本人女性を擁護するときに言った

「この人達に罪があるとすれば韓国青年を愛したという事だけです、この人達を見棄てることはできますか、できませんね」という言葉です。


とても説得力のある言葉だと思いました。


こういう発想は、私にはありませんでした。


たしかに、自分の国の人間を愛した人を

憎むいわれはありません。




韓国に限らず

どこの国でも

自分を苦しめた国の人間を

良く思わないことはあります。


けれど

もし、その人が自分の国の人間を愛していたのなら

それだけで、その人を心情的に許せる気になれるかもしれません。




私が小中学校を過ごした学校では

海外の子供たちが

編入してくることが

ありました。

カトリックの学校だったためかもしれません。


アメリカやカナダ、韓国からも

来ていました。


私は、中学生だったとき

体育の時間の直後に

話しかけてきた韓国人の女の子がいました。

「あなた、バレーボール、上手ね」と言って。

そのころ、テレビで「アタックナンバー1」や「サインはV」など

バレーボールものが流行っていて

夢中になって見ていた私は

バレーボールが大好きになっていました。


彼女に話しかけられたことが

きっかけで私たちは友達になりました。

うちに遊びに来たり

彼女が韓国に帰ってからも

文通していました。


彼女の花嫁衣裳の写真をみるときまで

文通は続きました。


韓国人の彼女は

宣教師の娘で

5か国語を話せるといっていました。


それから

「目覚まし時計は心臓に良くない」と言っていたのを

私は珍しく感じました。


韓国と日本は

政治的にも

歴史的にも

複雑なようですが

私は韓国の人が好きです。


暖かくて

感情に正直で。



国というのは

大きな集合体であるけれど

そこには

さまざまな個人が暮らしています。


その個人と

知り合い

お互いを良く知れば

国籍など関係がなくなると

私は思っています。


国が犯した過ちと

個人は違います。

礼儀として

付き合いの最初は

一言、謝ることはあっても

それ以外は

人間同士の個人としてのお付き合いです。


そうやって

個人的に人同士が

お互いを理解して付き合っていけば

ちょっとずつでも

平和に近づいていけるような気がしています。