心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

死なないで、生きていて


彼女を知ったのは
1週間ほど前。


アレッポから
毎日、戦場の様子をツイートしていた。


生きている限り
ツイートし続けると。


彼女がツイッターに登録したのは今年の9月のようだ。


それから1か月以上
戦地の様子をツイートしてきた。


「死ぬのが怖い」
「私たちを殺さないで」
「爆弾を落とすのをやめて」




動画もあり、爆弾が落ちる音も、リアルに聞こえた。



はじめて
シリアでの戦争を身近に感じた。


彼女の住む「アレッポ」についての知識は
「アレッポの石鹸はとても良い」ということだけ。


アレルギー体質の私が
安心して使える数少ない石鹸が
「アレッポの石鹸」だった。


彼女の存在を知ってから
毎日、彼女の生存をツイッターを見て
確かめていた。


「今日も生きていてくれた」と。。。。


けれど、17時間前
「I am   dying」(私は死にかけています)という投稿以来
消息が途切れた。



ケガをして
治療中で
投稿できないだけであってほしい。



そう、祈っている。


おじいちゃん保育士

NHKラジオ深夜便【明日へのことば】を聞きました。
「  第二の人生はおじいちゃん保育士」
保育士 荒澤光利さんのお話でした。





びっくりしました。


60歳を過ぎた男性が
保育士の国家試験を受けて合格し
実際に職場で働いているということに。



私の実家は
保育の専門学校を経営していました。
ですから、保母の勉強がどんな風に大変であるかは
漠然と知っていました。


60歳を過ぎた男性が
国家試験を受ける。。。
学科はいいとしても
実技は?
ピアノの趣味のある人なら
よいけれど
そうでなければ
一からピアノを練習して間に合うの?。。。と



でも、今日のお話を聞いてみると
選択科目は
音楽と言語、絵画の中から二つ選べばいいということ、
そして
音楽はピアノかアコーディオンかギターのどれかを選べるということ、
でした。
荒澤光利さんは、若いころに弾いていたギターを選び、合格したとのこと。



そして、私が一番疑問だったのは
体力的なことでした。


過去に子供を二人育てた私ですが
子供の相手は非常に体力がいる。。。というのが実感でした。



荒澤光利さんは、勤め始めは
体が悲鳴を上げていたと言っていました。
そうだろうな~と思いました。


でも、しまいには体が慣れてきたそうで
凄いなぁと感心しました。



おじいさん保育士として
働かれていることは
凄く意味のあることでもあると思いました。


もっとたくさん増えたらいいなぁ~と
思いました。


そのためにも保育助士のような形で
働ける制度ができるといいですね。
荒澤光利酸も言っている通り、
保育士のハードルを下げて
高齢者が働けるようになると楽しみです。


保育環境がひどい日本において
暇を持て余している元気なお年寄りが
若いお母さんの働きを支える突破口に
なれたら素敵だなぁと思いました。





反省と後悔ぐらい脳に悪いことはない。

「明日へのことば」を聞きました。






私は、統合失調症の友人を
二人亡くしています。


どちらも
20歳半ばで
自死しました。
二人とも、首を吊ったようでした。


そして二人とも
頭の良い青年でしたが
病院では
「分裂病」と診断されたことがあり
入院歴もありました。



「統合失調症」という言葉は
「分裂病」に代わって
新しく出てきた言葉です。


統合失調症というのは
幻聴、幻覚が症状の現れると
聞いたことがあります。
けれど
この二人は
幻聴も幻覚もなかったようです。



25歳で自死した青年は
入院させられたことをとても
悔しがっていました。


重い薬を飲まされて
口もきけない状態だったのに
「幻覚・幻聴はありますか?」と
質問されたことが腹が立ったと言っていました。


24歳で自死した青年は
もう緩解したと判断され
退院したのですが
不安で、再度、入院したいと言ったところ
病院から、その必要はないと言われて
ずっと家に引きこもっていたようです。




二人とも
ぎりぎりまで
生きることに何らかの希望を持っていたように
感じていました。


けれど
死期が近づくにつれ
心を固く閉ざしていきました。


彼らを
病院は救うことができなかった。。。


むしろ
病院は彼らの希望を奪うことに
結果的には加担してしまったように
私には感じられました。



そして私自身も
彼らを
「生」に繋ぎ止めておく力に
なれなかった。。。


「反省と後悔ほど脳に悪いことはない」という言葉を
知らなかった若いころの私は
ずいぶん自分を責めました。




そして
もう、知人から
自死者を出したくないという思いが
私をカウンセリングの勉強に向かわせました。









今、私が思っていることは

精神科の診断を受けたことのある人が
自尊の感情を取り戻すためには
とても長い時間がかかるということです。


糸川さんのような
感覚を持った医者に出会える確率は
おそらくとても低いのではないか、


病院が心の苦しみを治す場所にはならずに
むしろ
自尊の心をもぎ取ってしまう場所になりがちではないかと
ずっと思ってきた私にとって
糸川さんのような
人間の尊厳を大切にできる医師の存在は
暗闇の中で見つけたかすかな希望に思えました。