心が動いた話

「明日への言葉」を含め、ラジオやテレビ番組の感想を書いています。

だまされて、私が男ばかりのマウンドに立った昔話

今日のお話は「高校野球を見つめ続けて」


元報徳学園高校野球部選抜優勝監督
元NHK高校野球解説者 福島敦彦さんの


お話でした。



私は、野球に

あまり興味がないので

この方の名前は知りませんでした。


でも、ところどころ笑わせてくれる

話術に惹かれて聞き入ってしまいました。


この方の印象に残る選手は

松井秀樹さんと

松坂 大輔さんだそうです。


私はかろうじて

松井秀樹さんのことは

「ゴジラ」って言われている人。。。として

認識がありました。




それから、日本の野球界は

高校野球で活躍したメンバーが

ほとんどだということも知りました。


ひとつ、知識が増えました(^^)




私は野球には興味がありませんが

ルールだけは知っていました。


通っていた中学校の体育で

ソフトボールの授業で

実践をよくやらされていたからです。


ソフトボールと

野球ってルールは

似てますよね?



野球といえば

思い出すことがあります。


今から38年前の

大学1年生の時。

大学の球技大会で

実は、私、ピッチャーをやったのです。

しかも

男ばかりのマウンドで。




というのは

深い訳があり


じつは

私、だまされたのです。


球技大会は

男女混合チームしか

認められないと。

それで

「精神分析」のゼミのメンバーに

「名前だけ貸して」と言われ

OKした結果。。。。


マウンドに立つ人数が足りないからと

「出てくれるだけでいいから」と押し切られ


私は悔し紛れに

「じゃあ、一番、ボールが飛んでこないところならいい」と

答えると

「それなら、ピッチャーだ!」と

決まってしまいました。



いくら

仕方なしとはいえ

ボールがキャッチャーのところまで

届かなくては

あまりにかっこ悪いと思い、

練習させてもらいました。


「球の投げ方を教えて!」




大会までの数週間の間に

やっとキャッチャーまで

球がかろうじて

届くようになりました。


大会当日、

小雨模様の中

放送がかかりました。


「やぎさんチームの皆さん、

お集まりください」




「~ドラゴンズ」とか

勇ましいチーム名ばかりの

大会名簿で

「ヤギさんチーム」という

ヤワな名前は珍しく

それだけで

インパクトがあったのですが


「女の子が

今まで男しか立ったことのないグランドで

しかも、ピッチャーをやるようだ」という

噂が流れたのか

小雨の中だというのにも

かかわらず

人が集まってきだしました。



しかも、私の服装が目立ってしまったようで。。。


私はとても寒がりのため

秋の終わりのその日は

とても寒かった。。。


白と青のストライプの入ったジャージの上に

モスグリーンのレインコートを羽織っていました。


薄い生地だったので

投球の邪魔にはなりません。


それで、私はその姿のまま

みんなの見守るマウンドに立ったのです。




試合が始まりました。


私は、もう帰りたくてたまりません。


鼻息の荒い相手チームの様子を見て

うしろのみんなに声をかけました。



「誰か代わって!」



でも、チームのみんなは

知らん振り。


さすがに

相手チームの主将が

私に同情し

「女の子だ、ハンディーをつけてやれ」と言って


投球ラインを縮めてくれたのです。



しかも



一番バッターは

私から見ても

弱弱しそうな

男の子。


その主将は

なんとこう言ったのです。


「こいつ、打てないやつだから

安心して投げろ!」と。


逃げ場のなくなった私は

覚悟を決めて

投球。



私の球は

ひょろひょろストーンと

キャッチャーのミットに

おさまりました。


2番目に出てきたバッターは

ちょっと強めの男の子という感じでしたが

それまでの私の投球を見て

すっかり調子が狂ってしまったのか

いっぺんに力が抜けてしまったようでした。


おそらく、球がキャッチャーに

届かないとふんだのでしょう。。。


気づいた時は

バットを振り遅れていました。


そして、なぜか

私は三振をとりました。



次は

打つ番です。


学校でソフトボールをしていても

バットに球が当たったことが

ほとんどありません。




「打てないよー」

「あたった事ないよー」と

メンバーに訴えかけ

順番からはずしてもらおうと

必死に頼んでいたところ



相手チームの主将が

「動くな。

バット持って立ってろ。」と私に言い、

ピッチャーに

「当ててやれ」と言ったのです。



私は

その言葉を信じて

バットを構えたまま

バッターボックスに

立っていました。



そうすると

約束どおりに

私のバットに

球が当たりました。


球はよろよろと

転がりました。


とにかく

私は走り

そして


よろよろした球を拾いに来た

相手チームのメンバーにより

バッターアウト。





そうして

2回の表になりました。



もう、帰りたくてたまりません。



「ピッチャー、代わって!」と

もう一度、懇願。



とうとう、私のチームのメンバーが

見かねて

ピッチャーに名乗り出てくれました。





そして

そのとたん

相手チームは

本気になり

あっという間に

「やぎさんチーム」は

負けました。




疲れた疲れた試合でした。
















一日100円台の食費で子どもを育てるって

今朝のお話は「全国フードバンク推進協議会代表」の 


米山けい子さんのお話でした。


http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2016/02/blog-post_19.html



秋田宏さんの書かれた「明日への言葉」

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150811/



貧困家庭に食料を無償で届けるフードバンク。。。


それも、配慮がちゃんとあって


近所にわからぬように


宅配便でそっと届ける。。。




月に2回、楽しみに受け取る家庭



中には手紙も添えられている


そして返信用ハガキも。



その中で


困ったことを相談もできるし


心の交流もできる。。。。。






実は私も生活に困窮したことがある。


夫がいきなり退職して


1年無収入。


わずかな退職金は1年の間に食費に消えた。



体の弱い私は働きに行くこともできず。。





国からの支援金を2種類受けた。


昨日、そのひとつの返済が


完済した通知が届いたばかり。






お金がない生活は

まず、食べ物が大変だ。


空腹をしのぐためには

どうやって

お腹を膨らませるか。


片栗粉で「あん」を作って

その中に具財を入れる。。。

それで、すこしお腹持ちがよくなる。とか


知人から送られてきたお芋で

毎日の料理を作ったこともある


今日は、ハッシュドポテト風

昨日はシェパードパイ風

その前は肉じゃが風



心配する友人に

「ちゃんと食べてるよ。」と言って

 メニューを言うと

 「芋ばっかりじゃん」と言われて


  そりゃそうだ。。。と可笑しくなったこともある。



食費は

家族で3人家族で

一日300円の時もあった


一人

やはり100円台か。。。

そうか、うちも

そうだったんだ。。。


100円台はきついです。


育ち盛りは

なおさらです。

でも、そんな家庭が日本には増えている。



外から見たら

立派な家に住んでいて

車庫には立派な車があっても


その車は車検が切れ、

ガソリンは空っぽ

家の中では

暖房もなく冷え切っていて

育ち盛りに子どもがいるのに

毎日おかゆ。


そういう家に

食べ物を届けたことが

フードバンクが

取りに来てもらう形から

宅配に切り替わったきっかけになったと

話していた。


家や車を売ればお金になるでしょ。。と思っても

そんなにすぐには

家も車も売れない。


でも、食べ物は

まったなし。




そういう家庭を支えてきたフードバンク。

組織化されて

認知度も上がりつつある。。。


でも、私は今日まで

知らなかった。


そして

あっても

たぶん、私はあまり利用はできない。。。


どうしてかというと

食べ物のアレルギーがあるからだ。

保存料がだめ、湿疹や顔面麻痺が起きる。


アレルギーは時には

命に関わることもある。



アレルギー対応の食物の支給を望むなんて

始めからあきらめていたが


でも、日本でもアレルギー患者は結構いるはず


あきらめていないで

アレルギーのある人でも

緊急時に対応してもらえることが

もっと認知されてきたら。。



そして

アレルギーを持つ人たちが

支えあうシステムがあったら。。。




話しをフードバックに戻そう。


ここでは寄付もつのっている。


食材(販売期限が過ぎた物など)を

提供してくれる業者も

どんどん増えてくれるといい。。。



そして

個人の家でも

贈答品やお歳暮なので

余っている食材の提供も

喜ばれるはず。。



キーワードは

「食べ物の循環」。


それから、家に余分にある食材を提供し

足りない食材を受け取る。。。そういうシステムも

できるといいなぁ


鮮度を保持したままで

循環できるシステム。。。



人が負い目なく

食べ物を受け取り

何かを返していける社会


自尊を持ちながら

助け合える方法。。。。。。




待っているだけで

いいのだろうか。




























目も見えず、耳も聞こえず生きる

今朝のお話は、中途盲目、そして18歳で耳も聞こえなくなった

福島さんでした。

母親からの指点字のメッセージを受け取った時から

生きる気力を得た。。。という。




そして

2003年には、米国の週刊誌TIME誌(2003年4月28日号)で

「アジアの英雄」に選ばれたそうだ。


<東京大学先端科学技術研究センター教授 福島 智

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E6%99%BA





真っ暗闇の中で

何の音もしない世界


そういう人たちが

今、日本には23000人いるらしい。



そういう状態で

呼吸をして

生活していくこと。。。



想像しただけで

おそろしい。


自分だったらそういう状態で

心を正常に

保っていられるだろうかと

不安になる。


福島さんは

「言葉が救い」と言う。


指点字で言葉を使って

コミュニケートできること

それが、福島さんの心と活動を

大きく開いていった。。。。




指点字というのは

両方の指3本を

点字に見立てて

文字を作るらしい


<点字

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E5%AD%97




<点字の打ち方


https://www.youtube.com/watch?v=6EGxvj1oxv8




<指点字

https://www.youtube.com/watch?v=1Kjgo8aArAo


<福島さん 公演

https://www.youtube.com/watch?v=2-GZUwRWij8



私は42年ほど前、

中学生の時に、

必修クラブで「点字」をとった。


1年間だけだが、そこで

点字の勉強をした。



今は点字で表す50音も忘れてしまったが

おぼろげながら

覚えている。


今からでも、思い出せるだろうか。